2015年9月7日月曜日

文化祭に行ってきました。(井川中学校様)

皆さん、こんにちは。
「企画員」です。

先日、秋田県の井川町(いかわまち)にある井川中学校様へ
行ってきました。

井川中学校様は3年前から毎年「2年生の被災地体験学習」で
気仙沼を訪れています。

今年も5月に気仙沼市を訪問して気仙沼中学校の2年生との交流や
リアス・アーク美術館見学、花の道の清掃活動、塩作り体験など
2日間に渡り活動なさいました。

(気仙沼中学校との交流の様子)
 
 
(花の道の清掃活動の様子)
 
 
 
そして、私達が井川中学校様の文化祭(井中祭)におじゃまするのも
3回目。
 
 
気仙沼市から井川町まで車で4時間弱。
「生徒の皆さんもこの時間を掛けて気仙沼市に来ているんだなぁ」
と思いながらのドライブ・・・。
 
 
 
井川中学校到着!!
 
 
 
到着後、学年発表を見学しました。
気仙沼を訪れた2年生の皆さんも防災について発表していました。
 
 
井川中学校様は防災に関して非常に力を入れており、廊下には
危ない場所などを示した地図などが掲示してあります。
 
 
 
 
 
 
また食堂では各学年展示が行なわれていました。
 
 




2年生の皆さんは気仙沼での学習について壁新聞を作成したようです。

気仙沼中学校の2年生との交流は井川中学校の2年生の皆さんにとっても
非常に良い交流だったようですね。



廊下には気仙沼中学校の2年生の皆さんからの手紙も掲示されています。





昇降口を入ってすぐのスペースに気仙沼のコーナーも設けていただき、
そこで、物産品の販売や観光のPRをさせていただきました。


井川中学校の水品先生が販売を行なっています。




この画像は、水品先生がギター片手に歌を歌い気仙沼のブースを盛り上げて
くれている様子です。

その横では、募金箱を持った生徒さん達が気仙沼への募金を呼びかけて
くれています。


井川中学校の皆様からはいつも温かいおもてなしをいただき、さらに
気仙沼市へ義捐金もいただいています。

ありがとうございます。



先生の歌を聞きつけ、生徒さん達が集まってきました。
ホヤぼーやと一緒にノリノリです。


そして、午後から生徒によるアトラクションがあるのですが、その前に
私達から井川中学校様へ日の出凧の贈呈式を行ない、少し時間を
いただいて皆様の前で気仙沼市の現状についてお話させていただきました。

そして、あっという間に気仙沼に帰る時間となりました。

先生方に見送られて井川中学校を出発。


学校の入り口には花の道を清掃したときに気仙沼市の都市計画課の方から
いただいた朝顔が咲いていました。




毎日生徒の皆さんが朝顔を見て気仙沼市の事を思い出しているんでしょうね。


井川中学校の鷲谷校長先生を始めとした先生方、PTAの皆様、そして生徒の
みなさん、おかげさまで楽しい時間を過ごさせていただきました。
いただいた義捐金は9月7日(月)に気仙沼市に届けました。


また、お会いしましょう。
ありがとうございました。




おまけ・・・


私がちょっと席を外している間にホヤぼーやが昇降口前で行なわれていた
「スーパーボールすくい」に挑戦したようです。

「いっぱいすくったよ、どう?」
 
 
なかなか器用です・・・。










2015年9月4日金曜日

見てないようで・・・。考えてないようで・・・。

皆さん、こんにちは。
企画員です。

気仙沼市は残暑も無しでいきなり秋が来たのか
という感じで涼しくなっています。

もう9月になりましたね。

教育旅行(修学旅行)等の受入れもひと段落。

参考までに4~8月の受入れ数は21校(団体含む)1777名。

多くの生徒さん達が気仙沼市を訪問しました。


生徒さん達を受入れる側として、「気仙沼を訪問して、見て・聞いてどう思った
のか」という事は気になるところ・・・。

しかし、残念ながらタイミングが合わずに直接話を聞く機会が無い為、生徒さん
達の態度や表情から察するしかありません。

今の子供達(この表現が良いか悪いか分かりませんが)は何事に関しても
無関心(良く言えばクール)な子が多い印象で、「見てるかな」「聞いているかな」
という事を態度や表情から察するのは困難です。



でも、しっかり見て、聞いて、考えているんですね。







これは、今年度いただいた生徒さん達からの感想の手紙。

中には、気仙沼で見て・聞いて・感じた事を壁新聞にして送ってくれた
学校もあります

さらに、まとめて資料を作って送ってくれた学校もありました。


その全てを読ませていただきました。


その中の生徒さんの感想の1部をご紹介します。

・実際に被災地に行ったのは初めてで想像していたものと全く違った。

・気仙沼を訪問する前までは街が復興しているものだと思っていた。

・自分達にとって東日本大震災という出来事はあまり関係ない
 と少し軽く考えていたけど、この震災を受けた人々のためにも
 この震災は絶対に忘れてはならない、そしてこの震災の記憶を
 受け継いでいきたいと考えるようになりました。

・被災地を見る前は4年も経ったと思っていたけど、今は4年しか経って
 いないと思うようになりました。
 そう考えていたことを反省しました。

・学校に帰ってから自分達1人1人何が出来るか話し合いました。

・遠い所からでも何か1つでも元気づけられるようなものを見つけて
 少しでも復興の手助けをしたい。

・命の大切さに気付かされました。
 これからの人生を大切に生きて生きたい。

・普通の生活のありがたみを改めて感じた。

などなど・・・


皆さんが実際に現地を見て、様々なことを感じ取ってくれている
事が分かり、嬉しかったです。


さらにこんなお手紙もいただきました。

少人数でいらっしゃった学校の皆さんと市民との交流という
形でお話させていただき、その中で私は「高台移転は必要
ではないか」という事を話しました。

その後、その生徒さんからお手紙をいただいたのですが
その内容は次のとおりでした。(簡潔にまとめました)




高台移転は必要という話を聞いても自分は、例え津波が来た場所で
あったとしても住宅・工場などを建てるべきだと思います。
確かに話のとおり住宅や工場を内陸に移すほうが安全かもしれません。
しかしながら、それではならないと思います。
そう思う理由は3つあります。

①防災意識の低下
  気仙沼の人たちは津波と隣り合わせということを幾世代も経た後、
  忘れてしまうのではないか。
  震災のつらい経験を子や孫に話したくない方々が多いのではないか。
  その結果、津波を想定した避難訓練ではなく通常の地震・火災等を
  想定した避難訓練となり、人々が津波の事を忘れてしまって海の
  近くに再び住むのではないか。

②用地確保の難しさ

③防災教育の為
  海=(イコール)津波と隣り合わせという意識を持ち続ける事ができる。
  


という手紙を高校生の方からいただきました。


復興工事に関しては「これが正解」という事はきっと誰にも分かりません。
(「今は良くても後で考えると違っていた」「今は良くないと思っているが
 時間が経って考えてみるとこれで良かった」という事がでてくると思います。)

私は、遠くの土地で生活している高校生が将来の気仙沼の事を考えて
くれている(他人の立場に立って考えてくれている)ということに対して
感銘を受けました。


今、世の中には残酷なニュースが沢山流れています。


多くの人達がこの手紙のように「他人の立場に立って考える」事が
出来ればいいのになと思うと同時に、「自分も気をつけなければ」と
思います。




子供達は色々な物や話を
「見てないようで・・・見ている。」
「聞いていないようで・・・聞いている」

そして、それを基に
「考えていないようで・・・考えている。」


子供達は将来を担っていく大切な宝。
色々な事を見て・聞いて・考えて成長していって欲しいと思います。